現在では火葬が当たり前となっている日本ですが、その歴史を遡ると、長い間、埋葬の主流は土葬でした。日本の埋葬文化は、時代と共に大きく変化してきたのです。縄文時代や弥生時代、そして古墳時代に至るまで、亡くなった人の亡骸をそのまま地に埋める土葬が基本的な弔いの形でした。この流れに変化が訪れたのは、6世紀の仏教伝来です。仏教の発祥地インドでは火葬が一般的であり、その影響を受けて、日本でも火葬が行われるようになりました。記録によれば、日本で最初に行われた火葬は、700年、道昭という僧侶のものだったとされています。その後、天皇や貴族、僧侶といった上流階級の間で火葬が広まっていきましたが、庶民の間では依然として土葬が一般的でした。火葬には多くの薪と広い土地が必要であり、庶民にとっては経済的な負担が大きかったためです。この状況が大きく変わるきっかけとなったのが、明治時代です。明治政府は当初、神道の影響から火葬を禁止しましたが、コレラなどの伝染病が猛威をふるったことによる公衆衛生上の問題や、都市部での墓地不足から、一転して火葬を推奨するようになります。火葬場や火葬技術の近代化も進められ、火葬は徐々に庶民の間にも浸透していきました。そして、日本の埋葬文化を決定的に変えたのが、第二次世界大戦後の高度経済成長です。都市部への急激な人口集中により、墓地不足はさらに深刻化しました。限られた土地を有効に活用するためには、小さな骨壺に遺骨を納めることができる火葬が最も合理的な方法でした。こうして、衛生面、土地問題、そして近代化という時代の大きな波の中で、日本の埋葬方法は土葬から火葬へと完全に移行し、現在の圧倒的な火葬率に至ったのです。