東京で一人暮らしをしていた私に、北海道の実家から父から電話があり、「じいちゃんが、昨日の夜、眠るように逝った」。その一言で、私の時間は止まりました。厳格だけれど、夏休みにはいつも笑顔で迎えてくれた祖父。最後に会ったのは、一年前の正月。もっと頻繁に帰ればよかったという後悔が、冷たい波のように押し寄せました。通夜は明日だという。私は上司に頭を下げて忌引休暇をもらい、震える手でスマートフォンの画面をタップし、その日の最終便の飛行機を予約しました。クローゼットの奥から引っ張り出した喪服をキャリーケースに詰め込みながら、頭の中は真っ白でした。冬の北海道行きのフライトは、天候によっては欠航も珍しくありません。「どうか、間に合いますように」。祈るような気持ちで空港へ向かいました。深夜、ようやくたどり着いた実家には、久しぶりに会う親戚たちが集まっていました。そして、静かに布団に横たわる祖父と対面しました。眠っているだけのような穏やかな顔。しかし、その頬に触れると、氷のように冷たくて、もう二度とこの温もりに触れることはできないのだという残酷な現実を突きつけられました。翌日からの通夜、告別式は、あっという間に過ぎていきました。遠方から駆けつけた私に、親戚たちは「大変だったろう」と声をかけてくれましたが、私はただ頷くことしかできませんでした。もっと祖父と話したいことがあった。聞きたいことがあった。限られた時間の中、焼香の煙の向こうに祖父の遺影を見つめながら、後悔ばかりが募りました。すべての儀式が終わり、東京へ戻る飛行機の窓から、どんどん小さくなっていく故郷の雪景色を眺めていました。疲労困憊のはずなのに、涙が止まりません。祖父との思い出が、次から次へと蘇ってきます。往復千キロを超えるこの旅路は、体力的にも精神的にも、決して楽なものではありませんでした。しかし、この旅がなければ、私は祖父の死を本当の意味で受け入れることができなかったでしょう。遠い距離を越えて駆けつけ、親戚たちと同じ場所で涙を流し、祖父の思い出を語り合った時間。それは、私にとって、祖父との最後の、そして最も深い対話の時間でした。物理的な距離は、時に心の距離まで遠ざけてしまうことがあります。しかし、最後の別れのためにその距離を乗り越える努力は、残された者たちの心を繋ぎ、悲しみを乗り越える力になるのだと、私はこの旅で学びました。