葬儀の日程を決める際、多くの人が気にするのが「友引」という日です。カレンダーに記されたこの六曜の一つは、「友を(冥土へ)引く」と連想されることから、葬儀・告別式を執り行う日としては古くから避けられてきました。しかし、この風習は本当に守らなければならないものなのでしょうか。その由来と現代における捉え方について考えてみましょう。まず、大前提として知っておくべきなのは、「友引に葬儀を営んではいけない」という考え方は、仏教をはじめとするいかなる宗教の教えにも存在しない、ということです。六曜はもともと中国から伝わった占いが起源であり、仏教の死生観とは全く関係がありません。本来、「友引」は「共引」と書き、勝負事で引き分けになる日、という意味でした。それがいつしか「友引」という字に変わり、「友を引く」という迷信が後付けで生まれた、日本独自の文化的慣習なのです。したがって、宗教的な観点から言えば、友引に葬儀を行うことに何の問題もありません。実際に、浄土真宗など一部の宗派では、迷信に惑わされるべきではないとして、友引を気にしない立場を明確にしています。しかし、現実的な問題として、友引に葬儀を行うのは非常に困難です。それは、この慣習が社会に深く根付いているため、全国の多くの火葬場が友引を休業日と定めているからです。告別式の後に火葬ができないのであれば、葬儀を執り行うことはできません。つまり、宗教的な理由ではなく、インフラ側の都合によって、友引の葬儀が物理的に不可能になっているのが実情なのです。ただし、注意したいのは、避けられるのはあくまで「告別式」と「火葬」であるという点です。通夜は故人と最後の夜を過ごす儀式であり、「お別れ」とは意味合いが異なるため、友引の日に行っても全く問題ありません。例えば、友引の日にお通夜を行い、翌日に告別式と火葬を執り行う、という日程はごく一般的に組まれています。近年では、ご遺族の中にも「迷信は気にしない」という考えの方が増えていますが、参列する親族や地域の方々への配慮から、慣習に従うケースがほとんどです。友引の葬儀は、宗教的なタブーではなく、社会的な慣習とインフラの問題である、と理解しておくことが大切です。
友引の葬儀は本当に避けるべきか