私の祖父が息を引き取ったのは、土曜日の夜でした。週末だったため、遠方に住む親戚もすぐに集まることができ、日曜の夜に通夜を、そして月曜日に告別式を、という流れを誰もが思い描いていました。しかし、葬儀社の担当者から告げられたのは、「申し訳ありません、月曜日は友引ですので火葬場がお休みです」という非情な現実でした。そして、その翌日である火曜日は、当然ながら予約が殺到しており、確保できたのは午後遅くの枠だけでした。結局、祖父の告別式と火葬は、亡くなってから四日後となる火曜日の午後に行われることになりました。日曜日と月曜日、予期せず生まれた二日間の「待機」時間。自宅の和室に安置された祖父の周りには、常に家族や親戚が寄り添い、思い出話に花を咲かせました。それは、慌ただしい葬儀の中では得られなかったであろう、穏やかで濃密な「お別れの時間」でした。まるでおじいちゃんが、最後にみんなが集まる時間を作ってくれたようだね、と誰かが呟きました。しかし、その一方で、曜日の壁は残酷な現実も突きつけました。遠方から駆けつけてくれた叔父の一家は、子供の学校と仕事の都合で、月曜日には帰らなければなりませんでした。火曜日の告別式には、どうしても参列することができなかったのです。「じいちゃんに、ちゃんとお別れが言いたかった」。そう言って涙ぐむ叔父の姿に、私は言葉を失いました。たかが曜日の巡り合わせ、たかが迷信。それなのに、そのために大切な家族が、祖父の最後の旅立ちに立ち会えない。その理不尽さに、私はやりきれない思いを抱きました。そして迎えた火曜日の告別式。友引明けの斎場は案の定、多くの葬家でごった返しており、まるで流れ作業のように、慌ただしく儀式が進んでいきました。あの静かだった二日間とは対照的な、喧騒に満ちたお別れでした。この経験を通じて、私は葬儀の日程というものが、いかに自分たちの意志ではどうにもならない要因によって決められていくかを痛感しました。「友引」という一つの曜日が、お別れの形そのものを大きく変えてしまう。それは、故人を偲ぶ時間にまで影響を及ぼす、無視できない大きな力なのだと、身をもって知った出来事でした。